ハートブレイク・クライマー 1  五月。  北海道も鮮やかな新緑に包まれる季節――    モエレ沼は、石狩川沿いに無数に点在する三日月湖のひとつで、現在はイサム・ノグチの設計による大きな公園となっている。  そこは札幌市民の憩いの場で、休日ともなれば公園内を散策したり、犬の散歩やボール遊び、サイクリングなど、大勢の人たちで賑っているのだが、今日は少し様子が違っていた。  公園内の大きな道路は封鎖され、歩行者が入らないように警備員が立っている。  その道路を、二十台ほどの自転車が集団で走っていた。  色とりどりのジャージとヘルメットとフレームの隊列が、ちょっとした夕立を思わせる音を立てて通り過ぎる。普段、自転車の走る音など気にとめる者も少ないが、二十台以上の自転車が集団となって時速四十kmで疾走すれば、タイヤと路面の摩擦音だけでもかなりも音量になる。  それに混じって、数カ所に設置されたスピーカーから聞こえてくる興奮気味の声。本部テントで行われている実況放送だ。 『さあ、モエレ沼市民ロードレース、女子の部L‐1クラスもいよいよ大詰め。ゴールまで残り1kmを切って、先頭を牽くのはおなじみ白岩学園の四両編成列車。やはり白岩のエース平岸亜依子が本命か? しかしスプリントにはめっぽう強い山崎と大崎もいい位置につけている!』  テニスコート横の緩やかな下りを集団が通過する。  集団前方に位置していた大崎都は、右手の中指でシフトレバーを押し込んだ。一段シフトアップして少しペースを上げる。続く緩やかな登りを、その勢いで走り抜ける。  都の斜め前に、同じジャージを着た四人組が縦一直線に並んでいた。その車間はタイヤが接触しそうなほどに接近している。  彼女たちは白岩学園の女子自転車部だ。いつも同じメンバーで練習しているからこその、この隊列だろう。  その左側に貼りつくようなポジションにつく。  ゴールまでの距離が少なくなり、反比例して集団のペースが上がっていく。そのペースについてこられない者が遅れ、集団から脱落していく。  先頭で、必死の形相でペースを上げているのが白岩学園の二年生、円山留依。しかしもう限界だ。力尽きたところで右に進路を変える。  空いたスペースを埋めるように加速したのが、二番手を走っていた同じ白岩学園の宮沢早樹。その後ろについている三年生の白石佳織と平岸亜依子にはまだ余力が感じられる。  宮沢がさらにペースを上げる。サイクロコンピュータの速度表示が跳ねあがる。彼女にとってもこれは限界だろう。とてもこのままゴールまで維持できる速度ではない。無論、宮沢もそんなことは百も承知だ。  前方に、最終コーナーが近づいてくる。左の直角コーナーだ。  先頭を走っていた宮沢が力尽き、進路を空ける。後ろにいた白石が先頭を引き継ぎ、ハイペースを維持する。  都は奥歯を噛みしめた。ここからが最後の勝負だ。  ゴール手前に直角コーナーがあるこのコースは、最後の位置取りが難しい。全速のままインコースから進入したらカーブを曲がりきれないし、かといってアウトコースでは、インコースから膨らんでくる選手に前を塞がれる。  理想は中央よりやや内側のライン。最小限の減速で集団先頭でコーナーを抜け、いち早く加速すること。最終コーナーからゴールまでの距離が短いこのコース、ここで減速しすぎるとゴールまでにトップスピードを回復できない。コーナーに入る時の位置取りと、コーナーを抜けてからの立ち上がりの速度で勝負は決まる。  都は最大のライバル、平岸亜依子の左に陣取った。やはりコーナーではインに入りたい。  しかし相手も都の目論見はわかっている。先頭を牽いていた白石はコーナー手前で平岸に進路を譲り、自分は都の進路を塞ぐようにインを締めながらコーナーに進入した。  小さく舌打ちをする都。  このまま白石の後ろにいては勝ち目がない。  このレース、彼女は白岩学園のエース平岸のアシスト役だ。風よけとなって平岸を牽引し、最高の位置取りで最終コーナーに進入させ、同時に自分はライバルをブロックする。  当然、コーナーを抜けても勝ちを狙った急加速はしない。平岸の勝利のために、最速スプリンターの都を抑えるのが彼女の最後の仕事だ。  一瞬の判断。  都はコーナーリング中にわずかに減速し、平岸の後ろに下がった。他に手はない。  最高のラインでコーナーを抜けた平岸がサドルから腰を上げる。ギアをシフトアップする。ゴール目指して最後の加速だ。  コーナーリング中に進路変更を余儀なくされた都は、反応が一瞬遅れた。  ゴール前のスピード勝負――ゴールスプリントでは、その一瞬が致命的な差につながる。最終コーナーからフィニッシュラインまで充分な距離がないこのコースではなおさらだ。最高速の『伸び』で勝負することはできない。必要なのは最高速度ではなく加速力。  先手を取った相手に、加速中に追いつくのは至難の業だ。  それでも都は追う。  ギアをシフトアップ。さらにもう一段。  ハンドルを握りしめる。腰を上げ、ハンドルを引きつけるようにして、全体重をかけて渾身の力でペダルを踏む。  先行する平岸との差が詰まる。  しかし、やはり残り距離が短すぎた。  タイヤ半分の差を詰められないまま、都はフィニッシュラインを越えた。 * * *  悔しい  悔しい  悔しい――  都は唇を噛んだ。  また、負けた。白岩学園の『チーム』に敗北した。  平岸と一対一のスプリント勝負だったら、結果は違っていたかもしれない。しかし、勝負事で「たら」「れば」を語るのは無意味なこと。所詮は負け犬の遠吠えに過ぎない。  自転車ロードレースは不思議な競技で、成績はあくまで個人に対して与えられる『個人競技』でありながら、しかしその実体は紛れもないチーム競技だ。F1のようにチームオーダーが禁じられてもいない。強力なアシスト選手がいれば、圧倒的に有利となる。今回のような平地レースではなおさらで、四対一の人数差は、少しくらいの力の差で埋められるものではない。  それでも悔しい。  四対一の状況をはね返せない自分に腹が立つ。  人数の不利は最初から承知の上だ。  ヨーロッパでは人気のロードレースも、日本ではマイナー競技。女子、しかも高校生となればなおさらだ。  北海道で、まともなチームプレイができるほどの人数と質を揃えている高校など、白岩学園自転車部だけといってもいい。都が通う女子校にも自転車部などなく、このレースも個人でのエントリーだ。  それがわかっていて、今の高校を選んだ。  どちらかといえば一匹狼的な性格だ。誰の助けも借りず、自分の力だけで強力なチームに勝つことに憧れを感じていたことは否めない。  自分の力ならやれるはず、という自負もあった。  しかし実際のところ、高校生になってからの一年と少し、都が勝ったレースはチーム力の関係ない個人タイムトライアルがひとつと、ゴール前の落車に白岩学園が巻き込まれたひとつだけしかない。他のレースでは表彰台の常連ではあっても、真ん中には立てずにいる。  視界の片隅に、その、表彰台の真ん中を指定席にしている選手が映った。  白岩学園の三年生、平岸亜依子。  本人の力ももちろん優れたものだが、その上アシスト選手に恵まれていることもあって、北海道の女子選手の中では最強の地位を不動のものとしている。  平岸を囲んで、彼女を勝利に導いた仲間たちが嬉しそうに笑っている。 「……くそっ」  口の中でつぶやきながら、ヘルメットを脱ぐ。  収められていた髪がぱらりと落ちて、汗が滴る。  ――と。 「……大崎?」  背後からそんな声が聞こえた。  聞き覚えのある、可愛らしい声。  しかしすぐにはその声の主が思い出せない。それはつまり、この場で聞くことを予想していなかった相手ということだ。  振り返ると、数mほど離れたところに、都と同世代の女の子が立っていた。  身長百七十cm近い都よりはやや小柄だけれど、それでも百六十cmは超えているだろう。しかし贅肉がほとんどないような細身の体型のせいか、あるいは可愛らしい童顔のせいか、もっと小柄で華奢な印象を受ける。  ややくせのある柔らかそうな髪は、背中の中ほどまで届いているだろうか。初夏の風にふわふわとたなびいている。  彼女の足元では、リードを付けたカニンヘンダックスフントがちょこちょこと歩いていた。  犬の散歩らしい。札幌市民の憩いの場であるこの公園では、飼い犬を連れて歩いている人も多い。だからもちろん、知り合いに偶然会う可能性も皆無だったわけではない。 「……真木、さん?」  声をかけてきたのは、クラスメイトの真木楡だった。楡と書いて「えるむ」と読ませる、ちょっと洒落た名前の持ち主だ。  特に親しいわけではない。直に話したことはほとんどない、単なるクラスメイト。しかし声はよく知っている。お喋りで明るい彼女の声は、休み時間のたびに教室に響いているから。  人懐っこい性格で、友達も多い。たしか、中学までは静岡で暮らしていて、高校から札幌に引っ越してきたらしいが、そんなことは微塵も感じさせず、クラスメイトの大半と十年来の知己のように接している。  口数が少なく、人付き合いが苦手な都とは対照的だ。  それ故に、都にとってはどちらかといえば苦手なタイプだった。  だから「嫌な奴に見られた」というのが正直な感覚だ。好奇心旺盛で、お喋りで、友達の多い楡。今日のことはすぐにクラス中に広まってしまうかもしれない。  今のクラスメイトで、都がロードレースをやっていることを知る者は少ない。  自転車のことを、自分から進んで話すこともない。  日本の女子高生で自転車ロードレースをやっているなんて、極めて珍しい存在だ。そのことで奇異の目で見られることは愉快なことではないし、説明してもなかなか理解してもらえることでもない。  レースで活躍するのは望むところだけれど、それ以外の場で目立つのも、あれこれと騒がれるのも、性格的に馴染まない。  都はもちろん自転車通学だが、それもロードバイクではなく普通のシティサイクル、いわゆるママチャリを利用している。もっとも、それは目立つのが嫌という以外にも、かごのついている自転車の方が便利という理由もあるのだけれど。  それにしても、よりによって楡に見られるなんて。 「なにしてるの?」  連れていた犬を抱き上げ、小さく首を傾げて楡が訊いてくる。 「見てわからない?」  不機嫌そうにそれだけを応える。  しかし楡は気分を害した様子もなく、人懐っこい、可愛らしい笑みを浮かべた。 「……自転車のレースなんてやってるんだ? カッコイイね」  そんな台詞を無視して、再び自転車にまたがった。一応、レース後のクールダウンという口実がある。  負けたレースの直後に、その話題に触れられたくはない。  負けた時は、独りになりたい。  だから、楡から離れた。  それでこの件は終わり、楡もすぐに立ち去っただろう――と思っていたのだけれど。  表彰式の時、人混みの中で見物している楡の姿に気がついた。 2  月曜日――   「おはよう、都」  教室に入った都を、そんな声が出迎えた。  聞き覚えのある声。  昨日も聞いた声。  若干の違和感を覚える。  これまで、たまたま朝の教室の入口で顔を合わせでもしない限り、聞くことなどなかった声。  しかし今日は、自分の席で友達と話していた楡が、教室に入った都の姿に気づいてわざわざ声をかけてきたのだ。  違和感の原因はそれだけではない。  今、楡は「都」と呼んだ。  名前を呼び捨てにされるような、親しい間柄ではない。昨日だって「大崎」と名字で呼んでいたはずなのに。 「……おはよ」  さすがに教室内で挨拶されたのを無視するわけにもいかず、小さな声でそれだけを答えた。  楡もそれ以上話しかけてくることもなく、友達との会話に戻る。その友達もこちらに注意を払わないところを見ると、話題は昨日のことではないらしい。  それならいい。  自分には関係ない。  そう考えて、都は自分の席に着いた。 * * *  初夏のこの季節、都は、天気がいい日の昼休みは校庭に出て、木陰で昼食を摂ることが多い。  教室と違って、人目を気にせずに食事ができるのがいい――そう思っていたのだけれど、今日は事情が違った。 「いつも教室で見かけないと思ったら、こんなところでゴハン食べてたんだ?」  聞き覚えのある声に、箸を動かす手が止まる。  顔を上げると、にこにこ……というよりも「にやにや」という表現が相応しい表情を浮かべている楡の姿が視界に入った。その視線は都の顔ではなく、手の中の弁当に向けられている。 「……そっかー。都って、スマートなのにすごい大食いだと思ってたら、自転車レースなんてやってるせいなんだ? 実は体育会系なんだね? 運動神経いいのに部活もなにもやってないのが不思議だったけど、ウチの学校に自転車部なんてないもんね」  心の中で舌打ちをする。  嫌な奴に観られた。  いや、誰に見られたって嫌だ。  都の昼食は、ダイエットに気を遣う者が多い女子高生にはあるまじきサイズの弁当プラス購買で買ったサンドイッチ。  毎日そんな食事をしていても太らないのだから本人としてはまったく問題ないのだけれど、体重を気にして食べたいのを我慢しているクラスメイトの隣で、カロリーが軽く四桁に達するメニューを平然と平らげられるほどず太い神経はしていない。  友達の誰よりも多く食べていて、なのに羨まれるほどに細身なのだ。  平日の練習でも毎日百km近くは走る身体が必要とするカロリーは、大抵の運動部員を凌駕する。しかもロードバイクによるトレーニングは消費カロリーに占める脂肪の割合が高く、かつ筋肉は太くなりにくい。必然的に、陸上の長距離選手同様にスリムな体型になる。  それはなにも特別なことではなく、ロードレーサーにとっては必然のこと。ただ好きなだけ食べてスリムな体型を保っているわけでもない。それだけのカロリーを摂らなければスタミナを維持できないのだ。  しかし、それをいちいち説明するのも面倒だった。こちらの苦労も知らず「そんなに食べてるのに細くていいねー」なんて見当はずれの反応が返ってくるのが常だ。  だから、楡のことも無視していた。もっとも、楡は都に劣らず細身だから、妬まれることはないだろう。 「なんで、こんなとこでひとりでゴハン食べてるの?」 「……ひとりが好きだから」 「ふぅん」  小さくうなずきながら、隣に腰をおろす。  遠回しに「あっちいけ」と言ったつもりなのだが通じていない。平然と、持っていた菓子パンとコーヒー牛乳で昼食を始めた。  食べながら、都の弁当について、自分で作っているのかとか、どのおかずが美味しそうとか、都にとってはどうでもいいような話題を振ってくる。  それに対して気のない返事を返す。  どちらかといえば、楡は苦手なタイプだった。  人懐っこくて、必要以上に明るくて、おしゃべり。  無口で、静かに過ごすのが好きな都とは合わない。機関銃のようなおしゃべりは苦手だ。こちらが言葉を返す前に話題が変わってしまっていることもある。  もっとも、返事を強要せず、無視してもひとりで勝手にしゃべっている楡は、考えようによっては楽な相手なのかもしれない。少々……いや、かなり、耳障りではあるけれど。 「昨日のレース、惜しかったねー。もうちょっとで勝てそうだったのに」  いちばん触れられたくなかった話題。  箸を持っていた手がぴくりと震える。  そのまま、無視して食事を続ける。 「でも、カッコよかったよ?」  にこにこと無邪気に笑っている楡。その表情が癇に障る。  馬鹿にされているように感じるのは被害妄想、考えすぎだろうか。 「…………どこが。負けたのに」 「でも、二位だってすごいじゃん。それに、負けたっていってもほんのちょっとの差だったし」  確かに、平岸との差は五十cmもなかったろう。  しかし、 「……あんたは知らないだろうけど、ゴールスプリント勝負では、差なんて意味ないの。差が一センチだろうと一メートルだろうと負けは負け」  たとえばこれが陸上競技であれば、僅差で敗れてもタイムがよければ収穫にはなるだろう。しかし自転車ロードレースにおいては、ただライバルよりも速いか遅いかだけが問題で、大きな差がつかない限り、タイムの良し悪しは基本的に問題にならない。マラソンなどと違い、問題になるのは勝ったか負けたかだけで「どのくらいのタイムで」にはなんの意味もない。  これは他の競争と違い、多少の力の差があっても平地であれば遅れずについていくことが容易で、しかも後ろを走る方が空力的に有利で、同一集団でゴールすればその先頭でも末尾でも同タイム扱いとなるロードレースの特徴だ。  しかし、それを楡に説明したところで簡単には理解されないだろう。  自転車ロードレースは、ヨーロッパではテレビで生中継されるほどの人気スポーツなのだが、日本ではドがつくほどのマイナー競技だ。 『自転車=ママチャリ』 『自転車競技=競輪』  という構図が定着しているこの国でロードレースなんて、知らない人に説明しようとしても変わり者のレッテルを貼られるだけだ。  相手が男子ならともかく、女子ではなおさらのこと。  もう、同世代の女の子に理解してもらうことは諦めている。だから、距離をおく。  流行のファッション、アイドル、ドラマ、そして恋愛。そんな話題ばかりの会話の輪に入っていく気も起きない。もともとそうしたことに対する興味は薄いし、練習にかなりの時間を費やすロードレースをやっていると、それ以外のことに使える時間の余裕も少ない。 「……でもさ、やっぱりカッコよかったよ? うん。思わずひと目惚れしちゃうくらい」 「…………はぁ?」  唐突な台詞に、驚いて楡の顔を見る。  にこにこにこにこ。  相変わらずの無邪気な笑顔。  本気なのか、ふざけているのか、からかっているのか、表情からは判断がつかない。 「……なに寝言いってんのよ」 「あー、うん、確かに寝不足だけどね。昨夜はなかなか眠れなかったもんなー。都の勇姿を思い出すたびにドキドキして目が冴えちゃって」 「バカじゃないの」  ふざけた口調に、やっぱりからかわれているのだと判断する。  なにがひと目惚れだ。女同士で。  自転車に関することをからかわれるのは好きじゃない。  相手にしない方がいい。  やっぱり苦手だ、このタイプは。  小さな頃から、あまり人付き合いの上手な方ではなかった。まずなにより『おしゃべり』が不得手だ。  多分、楡とは正反対。 「ちょっと、こっち向いてよ」  無視して箸を動かしていると、顔を掴まれて強引に横に向けられた。 「あたし、都にひと目惚れしたの。あたしと付き合ってよ」 「…………あんたの冗談の相手するほど暇じゃないんだけど?」 「冗談じゃないよ、真剣」  そう言いつつも、顔は相変わらずの笑みを浮かべている。あまり『真剣』という雰囲気はない。  ふざけている、からかっている、ようにしか見えない。 「…………あんたって、レズ?」 「うん!」  即答する楡。  そのにこやかな表情は、やっぱり真剣なカミングアウトには見えない。 「……私はそーゆー趣味はないから。はい、この話は終わり」  しかし楡は手を離さない。 「男か女かなんて些細な問題でしょ」 「…………、それ以上大きな問題がある?」  常識人の都にしてみれば『相手が異性であること』が恋愛の大前提だと思うのだけれど。 「性別なんかより、ちゃんとあたしを見てよ。真木楡っていう人間を」 「……わかった、言い直す。あんたは、私の趣味じゃない」  はっきり言ってもやっぱり堪えていない。他の表情はできないのか、というくらいに相変わらずの笑顔だ。 「じゃあ、どんなタイプが好み?」 「…………」  少し、考える。  付き合っている相手はもちろん、特に恋愛感情を持っている異性がいるわけではない。そもそも、女子高生としては恋愛などに対する興味が薄いと自覚している。 「……ランス・アームストロング」 「ふぅん」  意外なことに「誰それ?」という反応は返ってこなかった。  もっとも、癌からの生還後にツール・ド・フランス七連覇という前人未到の偉業を成し遂げたロードレーサーはかなりの有名人だ。日本でも一般紙のスポーツ欄に記事が載ることはあったから、名前くらいは知っているのかもしれない。あるいは楡がシェリル・クロウのファンだった可能性もある。  ここでイヴァン・バッソとかロビー・マキュアンとかトム・ボーネンとか答えたら、きっとクエスチョンマークが返ってきたことだろう。 「……他の男の名前を出されるよりはマシかもね」 「なんでよ」  その台詞の意味をよく考えていれば、後の展開は変わっていたのかもしれない。  しかし昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴って、楡との会話はそこで打ち切られた。 * * *  放課後――  学校の駐輪場から都が乗っていくのは愛用のロードレーサーではなく、ごくありきたりなママチャリだった。  目立ちたくない、という理由がひとつ。この学校に、五十万円近い自転車で通学してくる生徒などいない。駐輪場には百台以上の自転車が停めてあるが、五十万円どころか五万円、いや三万円の自転車すら皆無だろう。  ふたつめの理由は、ミニスカートの制服はロードバイクに乗るには向かないこと。  そしてみっつめは、かごのついた自転車の方が通学には都合がいいという、純粋に実用的な理由だ。  校門を出ても、まっすぐ自宅には向かわない。家までは十km近くあり、帰宅してから練習に出るのでは時間の無駄だ。  都が向かったのは、学校から二kmと離れていないところにある小さな自転車店だった。『サイクルイグチ』という看板が掲げられたその店には、都が乗ってきたようなシティサイクルは一台も置かれていない。スポーツバイクのみを扱う、いわゆるプロショップだ。  店に入ると、三十代後半くらいの、うっすらと無精ひげを生やした男性が声をかけてくる。この店の店長、井口裕也だ。  今は一線を退いているが、二十代の頃は実業団レーサーだった。都は現役時代を知らないが、北海道ではトップクラスの選手で、ツール・ド・北海道の北海道選抜チームの代表選手に何度も選ばれていた。  小学生の頃から、都の自転車はすべて井口の手によるものだった。女子選手の多くがそうであるように、都も機材のことにはあまり詳しくない。整備も、自分でやるのはごく日常的な清掃、注油、空気圧チェックくらいのもので、購入時の組み立てはもちろん、その後のメンテナンスもパーツ交換も、ほとんどが井口に頼っている。  機材以外にも、トレーニング法やレースのテクニックについても、井口には世話になっている。そしていま現在の、日々の練習についても。  本来はウェアの試着のための更衣室を借りて、制服からサイクルジャージとレーサーパンツに着替える。ヘルメットやアイウェアは店に預けてある。  愛用のロードレーサーも、昨日のレースの後、店に預けておいた。レースを走り終えた愛車は井口の手で整備され、すぐに走り出せる状態で店の前に置かれている。  学校からここまでママチャリで来て、着替えてロード練習に出て、帰りにまた店に寄ってママチャリで帰宅するのが平日の日課だった。 「今日は早いな。昨日の今日だから練習は休むのかと思ったけど」 「昨日の今日、だからよ」  ご自由にお飲みください、と書かれたミネラルウォーターのサーバーからボトルに水を詰め、粉末のスポーツドリンクを溶かす。 「負けたのが悔しい、か」  その問いに対しては沈黙を返す。当たり前のことを訊くな――と。  井口は、不躾ともいえる都のこうした態度をスルーしてくれる。愛想を振りまくのが苦手な都にとってはそれが気に入っている点なのだが、考えてみれば、そんな性格は楡と似ているかもしれない。 「まあ、モエレの平坦コースじゃ仕方ないよな。四対一じゃあ牽引のことを抜きにしても、位置どりだけで不利だ。大崎ちゃんにも、せめて一人でもアシストがいれば違うんだろうけど」  プロのレースでは、アシスト選手がエースの前を走って空気抵抗を軽減することで、エースは体力を温存したままトップスピードまで加速することが出来る。同時に、アシストを含めたチームの人数が多ければ、ゴールスプリントで有利な位置を取るにも都合がいい。  三人のアシストを従えた平岸亜依子と、チームメイトのいない都。その差は簡単に埋められるものではない。一対一のスプリント勝負で平岸にひけを取るとは思わないが、四対一の不利を覆せるほどの力の差はない。 「でも、ゴール前のアシストなしでも勝つ選手はいるじゃん。マキュアンとかフレイレとかさ」 「だったら、孤高を気取ってないでライバルを利用する狡さを身につけるべきだな」  確かに、ライバルチームをうまく利用したり、駆け引きに長けたプロ選手と違い、都のレース運びはクリーンすぎるといえなくもない。 「悔しいのはわかるけど、今日は強度は上げるなよ。トップを目指すなら、休息もトレーニングのうちだから」 「……わかってる」  実業団で走っていたこともある井口は、都にとってはコーチ役でもある。技術面はもちろん、トレーニングに関してもそのアドバイスは貴重だ。素直にうなずいて店を出る。  愛車にまたがって走り出そうとしたところで、 「……都?」  背後から、聞き覚えのある……というか、聞きたくない声。  苦虫を噛みつぶしたような顔で振り返る。  そこにいたのはいうまでもなく、ママチャリにまたがった下校途中の楡。  都の姿と、店の看板を交互に見て「なるほど」という表情を浮かべる。 「こんなところで会うなんて、これはもう運命だね」  相変わらずの脳天気な台詞。頭痛がする。 「……偶然でしょ、バカ」  そう言い捨てて走り出した。 3  それから数日は、比較的平穏に過ぎたといってもいい。  日曜のレースの疲労も回復し、次のレースに向けて徐々にトレーニングの強度を上げていく。幸いなことに、天候は晴れ続きだった。  学校では、休み時間に楡がちょくちょく話しかけてくるが、まともに相手はしていない。しかしめげた様子もなく、相変わらずにこにこと笑みを浮かべてつきまとってくる。  それも、日常の一部になりはじめていた。    そして、次の週末――    いつものように、早めに朝食をすませてロード練習に出かけた。  ロードレースのトレーニングは『短時間で効率的に』すませる方法など存在しない。レースで長距離を走れる身体を作るためには、練習でそれ以上の距離を、時間を、走らなければならない。  だから、まる一日を練習に費やせる休日は貴重だ。いい天気でよかった。  次のレースまで一ヶ月ちょっと、しっかり鍛えなければならない。  ほとんど高低差のない平坦コースだった先週のレースと違い、次は嶮しいアップダウンが続く山岳コースだ。北海道ではもっとも厳しいレースで、距離の長い男子エリートクラスなど、完走率が半分にも満たないというサバイバルレースになる。  ロードレースにおいて、平地が得意な選手と山岳の登りが得意な選手ははっきり分かれる。そして都は前者だった。山岳コースはそれほど得意ではない。平地のスプリントこそが都の戦場だ。  しかし、それ故のチャンスもある。  厳しいコース故に、白岩学園のアシスト陣も途中でちぎれてしまうだろう。前回のように四対一の圧倒的不利なスプリント勝負にはならない。都が登りで遅れずにくらいつければ、最後は平岸と一対一の勝負に持ち込むことも不可能ではない。  今度こそ、と気合いも入る。  いま現在、登りが得意ではないということは、まだ伸びしろがあると考えることもできる。しばらくは登りの練習に力を入れるべきだろう。  地元の山岳コースといえば、真っ先に浮かぶのは手稲山か小林峠。少し遠出すれば朝里峠、毛無峠、支笏湖など。  今日はどこを走ろうかと考えていると、 「おはよ、都」  この一週間、聞かなかった日はなかった声が耳に入ってくる。  まさか、休日にまで聞かされるとは思わなかった。  家にまで押しかけてきたのか……と忌々しげに振り向いて、しかし、そこで固まってしまった。  視界に入った楡が、あまりにも予想外の姿をしていたから。 「あ……あんた、その格好……?」  ロードバイクを携えて、身に着けているのはサイクルジャージにレーサーパンツ、ヘルメットやサングラス、グローブまで。  それはまさしく、自転車雑誌に載っていそうなくらいに完全無欠の新米ローディ姿だった。 「えへへ、買っちゃった。乗り方教えて?」 「買っちゃった、って……」 「だって、こうすれば都と学校以外でも一緒にいられるでしょ?」  あっけらかんと答える楡に、開いた口がふさがらない。  驚くというか、呆れるというか。  そんな、気軽に言う台詞だろうか。  楡が携えているロードバイクを見る。  いかにも組み上げたばかりの、ぴかぴかの新品だ。フレームはもちろん、チェーンやギア板にもほとんど汚れがないところを見ると、本当に今日初めて乗るのかもしれない。  米国の有名メーカー、キャノンデール製の軽量アルミフレームに、主要コンポーネントはコストパフォーマンスのいいシマノ105とアルテグラの混成、走行性能に与える影響が大きいホイールは張り込んでデュラエース。  本格的なレースで使うのにも充分な性能を持ちつつ、価格を抑えた構成だ。それでもおそらく三十万円くらいになるのではないだろうか。  普通の女子高生が気軽に買える価格はない。『自転車』イコール『ホームセンターで一万円前後で買えるママチャリ』という常識が定着している日本で三十万円の自転車なんて、普通の人に言ったら呆れられるだろう。  しかも楡の姿を見れば、自転車本体以外にウェアやシューズ、ヘルメットなど、合計数万円がかかっているはずだ。 「……あんたって、実はイイトコのお嬢様? それとも援交でもしてンの?」 「どっちだと思う?」  意味深な笑みが返ってくる。  艶っぽいその表情に、まさか……と思う。  本当に、援交?  確かに、楡は可愛らしい顔立ちをしている。胸は小ぶりだけれどスタイルも悪くない。需要はいくらでもあるだろう。  だけど、まさか、本当に? 「なぁに、その顔。ホントに援交してるとでも思った?」  都の引きつった表情に、楡がけらけらと笑う。  その態度で、からかわれたのだとわかった。 「ンなわけないじゃない。あたし、オトコは対象外だもの」 「え……? あ、そっか……そうだよね」  そういえば、同性愛者だと言っていた。  あまりにもあっさりと言われたので、それも冗談かと思っていたのだけれど。  どういうわけかほっとしている自分に気づいて、少し不愉快になる。 「さらに言うと、親は普通のサラリーマン。これは、去年貯めておいたバイト代とかお年玉とかの貯金をはたいたの」 「な……」 「お店に行って『これだけの予算でレースに勝てる自転車ください』って」 「だ……だからって……どこのショップよ。シロウトの女子高生にこんな高いバイク売りつけて……」  三十万円という金額、レース仕様のロードバイクとしてはけっして高い部類ではないが、普通の女子高生の金銭感覚からすればとんでもない大金だろう。社会人だって、自転車に興味のない人であれば驚く金額だ。  高校生の、しかも初心者に勧める価格ではない。入門者向けの廉価バイクなら、レースに使えるものでも十万円台からある。  シートチューブの下端に貼られている小さなステッカーを見て、都は目を丸くした。 『サイクルイグチ』と。 「なっ、なに考えてンのよ、あのおっさん!」  商売人というよりも単なる自転車好きで、初心者の相談にも親身に対応する人だと思っていたのに。 「あんたもよ。井口さんに言われなかった? レースに出るだけならこの半額のバイクでも十分だって」 「出るだけ、じゃ十分じゃないもの」 「え?」 「都をアシストして、勝たせられるバイクじゃないと」 「――っ!」  大きな目が、正面から都を見据えていた。 「ちょうど、スカパー!でレースやってたんで見てみたんだけど、ロードレースって、個人での成績を競うのに、実はチーム競技なんだってね?」  そう。  それが自転車ロードレースの特殊性、他の競技との大きな違いだ。  普通、団体競技は球技であれ競走であれ『チーム』で成績を競い、勝ったチームが表彰される。  対して個人競技は自分以外の全員がライバルだ。F1でも露骨なチームオーダーはルール違反になっている。  しかし自転車ロードレースは違う。  レースによってはチーム成績も表彰対象となるが、どのレースでも一番の栄誉は個人優勝、先頭でゴールすることだ。  しかし、レースはチームの力で闘う。チームの中から優勝者を出すために、一致団結して協力する。  本格的なレースでは、チームは優勝を狙うエースと、それを援護するアシスト選手で構成される。アシストはエースの風よけとなり、ペースメーカーとして牽引し、補給食やドリンクを運び、あるいはライバルチームを牽制する。  そうして援護されたエースの仕事は、勝負所まで力を温存し、最後にライバルチームのエースを蹴散らして優勝することだ。  本場ヨーロッパのプロではそうした役割分担が徹底しており、それをわかっているファンは目立たないアシスト選手にも熱い声援を送る。そしてエースが獲得した賞金は、アシスト選手はもちろん、スタッフも含めたチーム全体に分配される。 「だから、あたしが都をアシストしてあげる。四対一であれだけいい勝負ができるなら、四対二でも十分に勝ち目はあるでしょ? そして都は献身的なアシスト選手を愛するようになってめでたしめでたし、みんな幸せハッピーエンド……という筋書き」 「な……」  本当に、開いた口がふさがらない。  そんなふざけた理由で三十万円以上の衝動買いなんて、ありえない。 「ば、バカバカしい、話になんないね」  わざときつい口調で言う。しかし楡は相変わらずの無邪気な笑みを浮かべたままだ。 「もー、照れちゃって。都ってばツンデレ?」  人差し指で頬をつつかれる。  小さく溜息。  こいつには、なにを言っても無駄という気がする。  だから、無視することに決めた。 「バカ」  それだけ言うと、バイクにまたがって走り出す。 「あー、待ってよ都」  楡も慌ててバイクに乗った。  いかにも初心者らしいぎこちない動作で、ふらつきながらシューズをペダルに嵌めている。専用シューズとペダルを固定するビンディングペダルなど、初めての経験だろう。  あたふたしている楡を無視して、軽いギアのまま回転数を上げて加速する。 「もー、待ってってばー!」  シフトアップして、重いギアを必死に踏んでいる。  やっぱり素人だ。  スピードを出す時にはシフトアップ――それは確かに基本だが、ただ闇雲に重いギアを使えばいいというものではない。ロードレーサーのトップギアなんて、プロやトップアマを除けば下り以外で使う機会などない代物だ。それがたとえ、ジュニア用の軽いギアであっても。  ロードバイクでまず必要なのは、重いギアを力まかせに踏むことではなく、高回転を維持すること。  そんなことも知らないなんて、やっぱりまったくの素人だ。  最初は頑張ってついてきていたが、案の定、すぐに力尽きて遅れていく。  もちろん待ってやったりはしない。楡に構わず、都は自分のペースで走り続ける。  しょせん、こんなものだろう。学校の体力測定でも、楡が目立った成績を残していた記憶はない。  都をアシストして勝たせる、だなんて。  口先だけ。単なる思いつき。  簡単にできると思っているなら、ロードレースを舐めている。 「……バッカみたい」  口の中でつぶやいて、都は走り続けた。 * * *  百二十kmほどのロード練習を終えて戻ってきた都は、まっすぐ家には帰らず、そのまま井口の店に向かった。  一言、文句を言ってやらなければ気がすまない。 「井口さんってば、なに考えてンのよ!?」  開口一番、店に入ると同時に叫ぶ。 「おや、都ちゃん。練習帰り?」  のほほんとした声が返ってくる。  店内に他のお客さんの姿はない。井口はダウンヒル用のマウンテンバイクを組み立てながら、テレビでのんびりと先日のジロ・デ・イタリア――三週間かけてイタリアを一周する、世界三大ステージレースのひとつ――の録画を観ていた。 「……で、なにをそんなに怒ってるんだ?」 「わかってンでしょ!」 「真木ちゃん?」 「他になにが?」  ジト目で睨む。 「なによあれ? シロートにあんな高いバイク売りつけて!」 「これこれの予算で登りに強いレース向きのバイクが欲しいというから、その通りに組んであげたんだけど? 無駄に高いパーツを使わず、コスパ重視のいい選択だろ?」 「高校生の、しかも初心者にいきなり三十万のバイク? レースだって二十万以下のバイクで十分じゃん」 「三十万円相当の戦闘力を求めているお客さんに十五万のバイクを売るのもおかしな話だろ。フレームはジャイアントとキャノンデールのどっちにするか悩んだけど、都ちゃんのSix‐13に合わせてCAAD9にシマノコンポにしたんだ。ちょっとイイだろ、エースとアシストでメーカーを揃えてるってのも、プロみたいで」  楽しそうに語る井口。自転車屋などやっているだけあって、走ることはもちろん、自転車そのものが大好きなのだ。機材について語りはじめると止まらない。 「アシストって……」 「本人もやる気あるみたいだし、次のレースはアシスト付きで走れるんじゃないか? チーム白岩に雪辱するチャンスだな」 「じょーだん。あのド素人がモノになるのに何年かかるって。次のレースは大滝だよ。シロウトが走れるわけないじゃん」  ありえない、と都は首を左右に振った。  ロードレース向きの身体を作ることは、一朝一夕にできることではない。小手先の技術ではどうにもならない、基礎体力の問題なのだ。  持久競技のための心肺機能と、自転車向きの筋肉。そのふたつを手に入れるために要する時間は少ないものではない。 「そうか? けっこうものになりそうな気もするけど」  そう言われて、一瞬、考える。  確かに楡は、手脚は長くて贅肉は少なく、ロードレース向きの体型ではある。  ……いや、ありえない。  だからといって、すぐに高いレベルで走れるわけではない。  そもそも、すぐに諦めるに決まっている。  都はもう一度首を振った。 * * *  その後も楡はトレーニング時にちょくちょく姿を現した。  もちろん、都はまともに相手などしない。すぐに置き去りにして走り去る。都が本気を出せば、そのスピードについて来られる女子などほとんどいない。  それでも楡は諦めない。  毎週末、同じことを繰り返す。休日のロード練習で都が家を出るのは早い時刻なのに、きっちりと家の前に現れる。置き去りにされた後も、一応ひとりで練習しているらしい。  これだけ邪険にされればいいかげん脈なしだと気がつきそうなものだが、めげる様子もない。  当然、今朝も例外ではなかった。 「おはよ、都。今日も相変わらずカッコイイね」  語尾にハートマークが飛んでいるような口調。明るい笑顔。  初日からまったく変わらない。  都はこれ見よがしに大きな溜息をついた。 「……ったく、これじゃストーカーじゃん」 「人聞きの悪い。せめて追っかけっていってよ」  まったく悪びれない態度が癇に障る。  不愉快、だった。  この、めげない性格。  陽気で。  人懐っこくて。  どこまでが本当かはわからないが、同性愛者というマイノリティでありながら、隠す素振りも見せず、拒絶されても前向きなところ。  嫌い、なのではない。  妬ましい。  悔しい。  自分にないものを持っている楡が。  楡のようになれない自分が。  都も、あまり『普通の女子高生』ではない。そして、そのことに後ろめたさを覚えている。  他人に理解されないこと、受け入れられないことが怖い。楡のように、他者から拒絶されても平然としていられない。  だから、あまり他人と関わらないように生きてきた。  楡はその真逆だ。  異質な存在のはずなのに、他人をまったく怖れていない。自分を変えず、なのに他人との関わりも否定せずに生きている。  悔しい。  妬ましい。  だから、楡の存在は目障りだった。 「いい加減にしてよ! あんたみたいなレズの変態と関わる気はないよ! 気持ち悪い!」  大きな声を上げる。  自分で意図した以上に強い口調になった。  楡が目を見開く。  いつもの、へらへらとした笑みが消える。  口を真一文字に結んで、都の顔を見つめていた。  さすがに怒ったのだろうか。  それとも、泣きそうなのを堪えているのだろうか。  それを確認する勇気はなくて、都は視線を逸らした。  言い過ぎた、という自覚はある。これは楡よりも都の側の問題なのだ。  だから、これ以上楡の前にいることはできなかった。  顔を背け、自転車にまたがって走り出した。 * * *  翌日から、休み時間に楡が寄ってくることはなくなった。  次の休日のロード練習にも姿を現さなかった。  どうやら、今度こそ見限られたらしい。  ――それでいい。    以前の状態に戻っただけ。  余計なことに煩わされずにすむ。  次のレースも近いのだから、楡のことになど気を取られずに練習に集中できるのはいいことだ。  そう、自分に言い聞かせる。  楡に対する後ろめたさから目を逸らして。 4  伊達市、大滝地区――  緑に包まれた山の中を流れる渓流と、並行して走る国道。その沿線にぽつりぽつりと建物が散在し、小さな温泉街があるだけの田舎町。幹線道路を一歩離れれば、山と畑しかないような土地だ。  その一角にある運動公園。普段は閑散としているであろう駐車場が、年に一度、車と自転車と人で一杯になる日がある。  チャレンジ・ツール・ド・北海道――    北海道のロードレースとしてはもっとも過酷なコースを走る重要なレースだ。  一周約十三kmのコースはほとんど登りと下りしかない。それを十周する男子エリートクラスなど、相当な実力がなければ完走すらおぼつかない。  しかし、だからこそ参加者も多い。  特に、エリートクラスの有力選手たちは真剣な表情だ。なにしろこのレース、ツール・ド・北海道国際大会に出場する北海道選抜チームの選考も兼ねている。  女子にとっても、みちのくステージレースinいわての北海道代表選考レースだ。  しかしそうしたことを抜きにしても、運やまぐれでは勝てない、本当に強い者が勝つレースとして、選手たちのモチベーションは高い。  もちろん、都も例外ではない。  前回のレースの雪辱戦でもある。なんとしても勝ちたい。そのためのトレーニングは積んできたはずだ。  受付をすませ、ゆっくりとコースを一周してウォーミングアップする。  スタート前に軽く補給食を摂る。  すべての準備を終えたところで、出走サインをしに行く。ロードレースの出場選手は、全員、スタート地点で自筆のサインをしなければならない。プロでもアマチュアでも、そのルールは変わらない。  しかし、歩き出した脚が不意に止まった。  目の前に、見知った顔があった。  こんなところで見るはずのない顔が。 「……なにしに来たの?」  その姿を見ただけで訊くまでもない質問だったが、それでも訊かずにはいられなかった。  返ってきたのは挑発的な笑み。 「この格好で散歩に来たように見える?」  サイクルジャージにレーサーパンツ姿の楡。ヘルメットには、ゼッケンつきのカバーが被せてある。  つまり、このレースの参加者ということだ。一足先に出走サインをすませて戻ってきたところらしい。 「……まさか、出る気?」 「もちろん」 「ここは、あんたみたいな素人がまともに走れるコースじゃないよ?」 「でも、こうしないとまともに話も聞いてもらえないみたいだから」  以前の、甘えるような態度とはどこか違う。目つきも鋭い。  楡がヘルメットを脱ぐと、中で束ねられていた髪がこぼれ落ちた。  思わず息を呑む。  背中まであった長い髪が、肩にかからない長さに切りそろえられていた。 「な……なに考えてンのよ、あんた」 「ね、賭けをしない?」  都の問いを無視して、挑発的な口調で言う。 「賭け?」 「このレース、あたしが都をアシストして、勝たせてあげる。その代わり……」 「はぁ? なに寝言いってンの。アシストどころか、一周だってついてこられるわけがないじゃない」  平地なら、よほどの力の差がない限り序盤から簡単に差はつかないのがロードレースというものだ。しかしこのコースは、スタート直後に本格的な登りが始まる。初心者ではまともに登り切ることすら難しいような長くきつい登りが。  高いレベルで力が拮抗する男子のエリートクラスならともかく、選手間の力の差が大きい中級クラス以下や女子、中学生などは、最初の登りである程度勝負が決まってしまう。優勝争いができる上位数名と、その他大勢に振り分けられてしまうのだ。 「試してみなきゃわかんないよ?」 「わかるって」 「だったら、賭けに乗ってもいいよね? 都が負けるわけないんだから」  楡は妙に自信ありげだ。  都の前に姿を見せなくなってからも、密かに練習していたのだろうか。それにしても、自転車に乗りはじめてひと月ちょっとでまともなレースができるわけがない。 「で、賭けって?」 「あたしがアシストして都を勝たせてあげる。その代わり……」 「その代わり?」 「あたしとデートして」 「はぁ?」 「もちろん、お泊まりアリのデート、ね」  にんまりと下心ありありの笑みを浮かべる楡と、顔中真っ赤になる都。こうした話題にはあまり免疫がない。 「な、なに言ってんのよ、バカ!」  吐き捨てるようにそれだけ言って顔を背け、そのまま出走サインをしに行く。今の顔を見られたくない。この程度の冗談で赤面するなんて、うぶなところを見られるのもいやだ。  あんな冗談につきあっていられない。都にとっては真剣勝負なのだ。 「約束だからねー!」  背後で楡が叫んでいた。 * * *  レースが始まる。  最初に、ショートコースを使う小学生のレース。  それが終わると、正規のコースを走るレースが始まる。ペースが速く周回数の多い上位クラスから、五分間隔でスタートしていく。  そして、いよいよ女子のスタートだ。  男子と違い、人数の少ない女子はクラス分けがされていない。小中学生を除き、高校生以上は全員が同じクラスでのスタートだ。  号砲が鳴る。  ゆっくりと走り出す。慌てて飛び出す者などいない。  スタートダッシュがその後の展開に大きく影響するクロスカントリーや短距離のタイムトライアルなどと違い、集団で走るロードレースではそれが普通だ。後ろを走る方が有利で、勝負所まで無駄な動きは極力しないのがロードレースである。  このレースは特にそうだ。スタート後すぐにきつい登りが五km近く続くから、まずはお互いの顔色をうかがいながら様子見となる。  ひとりでがむしゃらに飛び出したところで、よほどの実力差がなければ最後まで体力がもつわけもない。優勝を狙える選手ほど、序盤は無駄な体力を浪費せず、勝負所まで脚を温存するものだ。  登りをこなすうちに徐々に選手がふるいにかけられ、残った者たちで最後の一周が本当の勝負、と都は思っていたし、他の有力選手も同様だろう。  ところが。  登りが始まると同時に、ひとりの選手が集団から飛び出した。  白岩学園の二年生、円山留依のアタックだ。  他の選手たちが、一瞬、驚きの表情を見せる。予想外の展開だった。  しかし誰も円山を追わず、このアタックは見逃された。  円山は、白岩学園の主力四人の中ではやや力が劣る。序盤から飛び出したところで、最後までひとりで逃げきる力はない。円山がどんなに頑張ったところで、集団が普通のペースで走ればいずれは追いつける。  彼女はおそらく、他の選手を攪乱するためのダミー、囮のアタックだ。  あまりにも見え透いてるな、と思う。「こいつを放置したらやばい」という選手でなければ、単独アタックは脅威にならない。  北海道の女子選手など、人数もたかがしれている。ほぼ全員が顔見知りだ。実力も、レースでの走り方も、お互いによくわかっている。そして円山は、他の優勝候補にとっては脅威になる選手ではない。  慌てることはない。  今のところ、白岩学園のエース平岸亜依子と、彼女の右腕で登りにめっぽう強い白石佳織は動きを見せていない。ならばこちらも動く必要はない。  他の選手たちも同じ判断を下したようだ。とりあえず円山をひとりで逃がして、エースは終盤まで集団内で体力を温存するのが白岩学園の作戦だろう。あるいはライバルが円山を追って消耗することを期待しているのだろう、と。  円山が飛び出したことで、逆に集団内は落ち着いた様子だった。優勝候補の平岸と都が動かなかったことで、他の選手もここは体力温存に専念すべきと考えたのだろう。  集団内の思惑が一致した、絶妙なタイミングだった。  一瞬の隙。  白岩学園の残った三人、平岸、白石、宮沢が同時に加速する。他の選手は完全に虚をつかれた形になった。  有力選手が様子見のために集団内での位置を後ろに下げていたタイミングを見計らったかのような、三人のアタック。  あれよあれよという間に、一気に距離を空けられてしまった。  都をはじめ、他の選手たちはなにも反応できなかった。  まったく予想外の動きだ。まさか、一周目の序盤からチーム全体で仕掛けてくるなんて。  集団に取り残された選手たちが、お互いの顔色を窺う。  このアタックは単なる牽制なのか、それとも本気なのか。  このまま見逃すのか、それとも追うのか。  追うとしたら、誰が最初に飛び出すのか。  このレースで『チーム』と呼べる人数と実力を備えているのは白岩学園だけだ。他の有力選手はみんな違うチームでの単独参加で、損得抜きで協力することはできない。どうしても「自分を有利に、ライバルを不利に」という牽制が入ってしまい、お互いに足を引っ張り合う結果になってしまう。  これはまずい展開だった。  ロードレースにおいて、アタックがかかった時に迷うのは致命的だ。勝負を決める決定的なアタックに乗り損ねたら、それで勝敗は決してしまう。しかし囮のアタックを無理に追っても、無駄脚を使って消耗するだけだ。  迷っている間に差は広がる。コースは九十九折りの登り、前を行く三人の姿はすぐに視界から消えてしまった。  どうしよう。  都は迷う。  無理を承知で、単独で追うべきか。  しかし、今から追っても頂上までに追いつけるだろうか。  登り終われば、その先は下って、その後少し平坦区間が続く。そうなると四人いる白岩学園の方が有利だ。ひとりで無理に追うのはリスクが大きすぎる。追いついたとしても、四対一の勝負では前回と同じ展開だ。  それならばこのまま集団で体力を温存して、終盤に勝負をかけた方がいい。  しかし、このまま決定的な差をつけられてしまうかもしれない。長い直線の少ないこの山岳コースでは、前との差を正確に把握することも難しい。  追うのも賭け、集団にとどまるのも賭け。  どうする?  どうすればいい?  平岸は三人のアシストを使って、限界まで牽かせることができる。  それをひとりで追えるのだろうか。追いついたとしても、最後のスプリント勝負を挑む力は残っているだろうか。このコースのゴール前はわずかに登りになっている。力を必要とするスプリントだ。  正攻法でも圧倒的有利なはずの白岩学園が、こんなに早くにチーム全体で勝負を仕掛けてくるなんて予想外だった。しかも、そのアタックがこんなにうまく決まってしまうなんて。  予定外の展開に、自分がどう動くべきか決められない。  へたに動けば自爆。  しかし、なにもせずにいるのもジリ貧。  ダメ元で追うべきか……とシフトレバーに指をかけたところで、 「追うよ、みんな協力して」  都の斜め前にいた楡が、周囲に声をかけた。 「五、六人いれば追えるよ。最終周回の登りはじめまでに追いつけばいいんだから」  素人のくせに、それと感じさせない堂々とした物言いだ。隣を走っていた選手が不思議そうな表情を見せる。女子選手なんてみんな顔見知りの中で、楡だけが初めて見る顔なのだ。  しかし、楡の言っていることは間違いではない。前を行く白岩学園は四人。集団に残った選手のうち力のある五、六人でうまく協力して追えば、終盤までに追いつくことは不可能ではない。駆け引きなしで協力できれば、という但し書きがつくが。 「いつもいつも白岩学園に勝たせてたら、面白くないでしょ?」  お馴染みの、愛想のいい可愛らしい表情。周囲に対して親しげに笑みを浮かべ、ウィンクする。  戸惑いの表情を浮かべていた周囲の選手の口元もほころぶ。 「そうだね」 「やるか」  数人が腰を上げ、ペースを上げはじめる。  楡が都を振り返る。 「なにやってンの、都。ここであんたが行かなくてどうすンの」 「……わかってるよ!」  一気に二速のシフトアップ。  ダンシングで楡を追い越し、集団の前に出る。楡がすぐ後ろについてくる。  ちらりと振り返って、ついてきた選手の顔ぶれを確認した。  大学生では双璧の実力者、山崎萌と斉藤沙也加。社会人のベテラン高木曉子。新鋭の高校一年生、本橋花南。いずれも、レースでは常に上位を占める実力者たちだ。  そして都と楡。楡はともかく、牽制なしで協力できれば白岩学園に対抗できる脚の持ち主が揃った。  残りの選手は遅れている。都たちを見送ったのではなく、ペースアップした六人を追うだけの脚がないのだろう。  前を追う力と意志のある選手がここにいる。  クラスメイトの都と楡を除けば、全員が違う学校、違うチームの所属で利害が衝突するため、普段はどうしても牽制が入ってしまう。だから、統一された意思の元に動いている白岩学園には勝てない。  しかし今日は違う。  楡の一言で、六人の意志があっさりと統一された。  白岩学園の四人にあまりにも簡単に逃げを決められてしまったせいもあるだろう。とにかく、最後の登りまでに追いつくこと――そのひとつの目的のために、協調体制ができあがった。  前に追いつき、もう一度勝負をふりだしに戻す。その後かけひきや牽制が行われようとも、それは追いついてからの問題。それまでは、この追走集団内でのかけひきはおあずけ。  そんな暗黙の了解ができあがった。  いい状況だ。  不安要素といえば楡だけだ。しかし残り半分が遅れているこのペースに、楡はしっかりとついてきていた。初めて都の練習についてこようとした時の、素人丸出しのぎこちないペダリングではなく、きれいに脚が回っている。登りでペースアップしているのに、楽なダンシングではなく、サドルに腰を下ろしたままで速度を維持できている。 (……って、きれいすぎる?)  ふと気がついた。  速度の割に、楡の脚の回転が速すぎる。  ロードバイクを駆る際に重要なことのひとつに、脚の回転数――ケイデンスの維持がある。  一般人が街中で乗っている自転車のケイデンスは毎分四十〜六十回転程度だが、ロードレースでは平地で百回転以上、ケイデンスが落ちる登りでも七十〜九十回転を保つのが最近の主流だ。高速で長時間走り続けるためには、重いギアを力まかせに踏むのではなく、軽いギアを速く回し続けなければならない。  高ケイデンスでの走行に慣れることが、ロードバイク入門の第一歩だ。楡も最初はひどいもので、都のスピードについて来ようとして、重いギアを五十回転くらいで回していた。しかししばらく見ないうちに、脚の回転が滑らかに、かつ速くなっている。  不思議に思って、楡の足元に注目する。 (……コンパクトドライブ?)  以前見た時には気に留めなかったが、フロントに通常よりも小さいギアを付けていた。ギア比が小さくなり、坂をより軽い力で登ることができるため、脚力のない初心者や女性、スピードを追求しないツーリング派のサイクリストに人気のあるパーツだ。最近はヨーロッパのプロ選手でも、きつい山岳コースでは使う場合がある。  重いギアを踏んで負荷をかけると、脚の筋肉はすぐに疲労してしまう。そして回復のためには十分な休息が必要だ。  しかし軽いギアを高回転で回すと、重いギアで同じ速度を出す場合に比べて、筋肉にかかる負荷が小さい。代わりに心肺機能に負担がかかるのだが、心臓も肺も、腕や脚と違って疲労せずに長時間働き続けられる器官だ。激しい運動で息が上がっても、わずかな休息ですぐに回復する。一度疲労した筋肉が、元の力を出せるようになるまでに長時間の休息が必要なのとは違う。  筋肉を酷使しない走り方をすることで、わずかな時間しか全力を出せない筋肉を、最後の勝負所まで温存することができる。  もちろん、いいことばかりではない。ギア比が軽い分、同じ回転数では速度が落ちる。レースのペースで走るためには登りでも高ケイデンスを維持しなければならないのだが、それが初心者にはなかなか難しい。  しかしそれができるのであれば、登りがきつくて距離が長いこのレースで通常よりも軽いギアを使うのはいい選択だ。井口の入れ知恵だろうか。  コンパクトドライブの威力か、あるいはこの短期間で相当な練習をしてきたのか、楡は予想に反して遅れることなくついてきている。  たいしたものだ。ロードバイクに乗りはじめて二ヶ月と経っていない素人が容易にできることではない。もともと持久力が高かったのだろうか。  六人は登りをいいペースでこなし、下りに入る。道幅が狭くテクニカルなコーナーが続く下りが終わると、コース終盤の平坦区間。ここでは六人という人数の優位性を活用する。  ロードレースにおいて、最大の敵は空気抵抗だ。  街中を走る時の時速十数kmではほとんど気にならない空気抵抗も、速度の二乗に比例して強くなり、時速三十kmを超えたあたりから目に見えない壁となりはじめる。ロードレースではアマチュアでも巡航時で時速四十km以上を出すが、この速度域ではペダルを漕ぐ力の大半は空気抵抗と戦うために使われることになる。  そして空気抵抗は、どの位置を走っているかで大きく変わる。  先頭を走る選手が受ける空気抵抗を百とすると、その直後を走る選手は八十以下、さらにその後ろでは七十以下だ。つまり先頭の選手が全力で走っていても、後ろの選手は七割以下の力で同じ速度を出せることになる。  そのためロードレースでは、速度の上がる平地を走る際、選手が縦一直線に並んで空気抵抗を減らす。  それだけでは先頭の選手が不利になるので、十秒〜二十秒間隔で先頭を交代していく。二番目を走っていた選手が先頭に出て、先頭の選手は列の後ろに下がって脚を休める。違うチームでも、見知らぬ者同士でも、勝負所以外では均等に先頭を負担するのがロードレースの暗黙のルールだ。  六人で十五秒交代のローテーションを組めば、先頭で十五秒間頑張った後は、七十五秒間休むことができる。回復するには十分な時間で、これを繰り返している限り疲労はさほど溜まらない。  当然、前を行く白岩学園の四人のローテーションよりも、六人のローテーションの方がひとりあたりの負担が少なくて有利だ。ましてや向こうはエース平岸を温存するために、主に三人で先頭交代をしているはず。六人が均等に先頭交代しているこちらの方がペースは速い。  初心者の楡もちゃんと先頭交代に加わっていて、動きにぎこちなさはない。  順調に二周目に入る。  伴走のオートバイが、前の四人とのタイム差を伝えてくる。一時は二分近く開いていた差が詰まりはじめていた。  都は残り距離とタイム差をざっと計算する。  いける。  このペースを維持していけば、最終周回の登りが始まるあたりで前を捉えられる。  無理なペースアップは必要ない。この追走集団から脱落者が出たり、協調体制が崩れたら終わりだ。確実に、最終周回で追いつけばいい。  他の選手も同じ考えなのだろう。全員、やる気がみなぎっているようだった。 5  いよいよ最終周回。  スタート&フィニッシュ地点となる本部テント前を通過する時に、残り一周を知らせる鐘が打ち鳴らされる。  六人は協力して前を追っている。都にとってはまったく予想外のことだったが、楡もここまで遅れずについてきていた。  前を行く四人の背中が近づいてくる。  最後の登りが始まると、一気に差が縮まった。目標を射程に捉えたことで追う側は気合いが入る。対して前の四人は逃げを諦め、追走集団とひとつになって仕切り直そうとペースを落とす。  先頭が十人の集団になる。これで勝負はふりだしに戻った。  ここからが本当の勝負。この登りでふるい落としが行われ、そこを耐え抜いた数名が優勝を争うことになるだろう――誰もがそう思った。  しかし――  ただひとり、例外がいた。  逃げと追走がひとつになってペースが落ち着きかけた集団の中から、楡だけが力を緩めることなく、むしろ加速して飛び出していった。  まったく予想外の行動だった。楡を知っている都にとっては特にそうだ。  初心者の楡に、この厳しいコースで、レース終盤になってまだ加速する力が残っているなんて。  確かに、その行動はある意味正しい。  ロードレースにおけるアタックは、ライバルが予想していないところか、あるいは嫌がるところで仕掛けるものだ。  しかし誰もそれをする余力と勇気がなかった状態で、まさか楡が飛び出すとは。  初心者だからこそ、かもしれない。残り距離と、それを走りきるのに必要な体力がどれほどのものか、わかっていない可能性がある。  限界まで疲労が蓄積した脚は、どんなに頑張っても思うように動いてくれなくなる。そうなったら、余力を残した選手との速度差は歴然だ。勝負にならない。 「……あの、バカっ」  口の中でつぶやく。  それが聞こえたわけではあるまいが、楡がちらりとこちらを振り返った。  一瞬、目が合う。  単に、後ろの反応を確認するための行動ではない。まっすぐ都に向けられた視線。「ついてこないの?」とその目が言っている。都を誘い、そして挑発している。  躊躇したのは一瞬だった。  サドルに下ろした腰をまた上げる。  ハンドルをしっかりと握り、体重をかけてペダルを踏み込む。右手の中指が動き、変速機のリリースレバーを押し込む。  ギアをシフトアップして加速。一瞬、全力を絞り出して、先行した楡との十m差を詰める。たちまち、後ろの八人との差が開いていく。  他の選手たちの反応は遅れた。  逃げを潰したところでカウンターアタック――プロや上級者のレースではよくある話だが、誰もが疲れているこの状況で仕掛けるとは思わなかったのだろう。  楡を除けばみんな顔見知りだ。その力も、レースでの走り方も、お互いに知り尽くしている。その知識の中には、この局面で仕掛ける無謀な選手はいないはずだった。  この集団にただひとり紛れ込んだ異邦人、楡が前を行く。その動きに反応したのは、彼女のことを多少なりとも知っている都だけだった。  後ろの集団は反応しない。白岩学園の平岸や白石にとって、登りでの勝負なら都は敵ではない。他のメンバーにしても、この登りでマークすべき相手は平岸と白石であり、平岸と白石にとっては山崎や斉藤だ。都が脅威となるのはゴールスプリント勝負になった時のこと。  だから、見逃した。この登りで都がひとりで飛び出しても、集団に決定的な差はつけられないという判断だ。  都はひとりで楡を追う。  予想以上に速い。  本気で加速したのに、わずかに先行しただけの楡に追いつくのに多少の時間を必要とした。  呼吸が荒くなる。しかし力を緩めるわけにはいかない。アタックをかけた以上、後ろが簡単に追いついてこられないだけの差をつけるまでは必死に踏み続けるしかない。  無茶だ――そう思う。  こんなペース、頂上までもつわけがない。  頂上を越えたとしても、その先は下りと平坦。ゴールまでは距離がある。  無茶だ。  ここまで予想以上にいい走りをしてきたが、やっぱり楡は初心者だ。ロードレースのペース配分というものがわかっていない。同じ持久系種目でも、マラソンとは違う。持久力の限界まで走った上で、最後に全力の短距離走をしなければならない競技――それがロードレースだ。  楡に追いついたところで怒鳴る。 「バカっ! こんなペースで最後までもつはずないっしょ!」 「……都、もう限界?」  にぃっと笑う楡。 「な……っ」 「あたしはまだまだ軽いよ?」  挑発的な口調。  しかし口を大きく開けて荒い呼吸をし、汗が滝のように滴り落ちている。とても「まだまだ軽い」などという表情ではない。  口だけの強がりだ。それでも、この状況でまだ強がれることは評価に値する。  本当に脚が動かなくなるその瞬間まで、ヒルクライムは我慢比べだ。どんなに苦しくても頑張り続けられる者が勝者になる。 「っなめんな! このシロウトがっ!」  初心者には負けられない。都だって人一倍の負けず嫌いだ。だからこそロードレースなんてやっていられる。  のんびり走っている限り、自転車は地球上でもっともエネルギー効率のいい、すなわち『楽な』移動手段だ。その自転車が、こうした厳しい山岳コースのレースではなによりも苦しい乗物に変わる。それでもレースをやっていられるのはよほどの物好きだけだ。  力を振り絞り、楡を追う。  楡は速度を緩めない。都でもついていくのが苦しいペースだ。  北海道の女子選手としてはトップクラスの力を持つ都だが、登りはけっして得意ではない。登りでは必死に耐えて前の選手についていき、最後のスプリントで勝負するのが都のスタイルだ。  この登りのスピードは、明らかにオーバーペースだった。あとどれだけ、このペースを続けられるだろう。都単独だったら――楡が前にいなければ――維持できる速度ではない。  そのペースで楡は走り続けている。  都が登りのエキスパートではないとはいえ、それは純クライマーの白石や、最強のオールラウンダー平岸と比べての話で、北海道の女子選手の中で上位に位置することは間違いない。  なのに、ロードバイクに乗りはじめたばかりのはずの楡が都の前を走っている。  この短い期間で、いったいどれほどの練習を積んできたのだろう。  もともと優れた持久力を持っていたとしても、それだけでは無理だ。自転車に乗るための筋肉は、自転車でしか鍛えられない。優れた心肺機能と強靱な筋肉が揃わなければ、きついヒルクライムはこなせない。  楡も苦しくないわけがない。  荒い呼吸。滴る汗。  ボトルを手に取り、口に含む。さらに頭から水をかぶり、脚にもかける。 「……はぁっ!」  ボトルを戻し、大きく息を吐き出す。  ロードレースに限らず、すべての持久系競技において呼吸は重要だ。  筋肉は、ATP――アデノシン三リン酸をエネルギー源とする。ATPは体内に蓄えられた糖類から生成されるが、そのサイクルには酸素が必要だ。  短距離走のような無酸素運動と、マラソンやロードレースのような有酸素運動では、同じ量の糖から生成されるATP量が十倍以上違い、酸素なしでは筋肉はすぐにガス欠で動かなくなってしまう。長いロードレースを走り抜くには、大量の酸素を取り込んで体内のエネルギー源を効率よく使わなければならない。  無酸素運動になるほどの負荷を筋肉にかけず、しっかりと呼吸をすること。それがなによりも重要だ。苦しい局面では呼吸もおざなりになりがちだが、そのツケは後で必ず払わなければならなくなる。苦しい時ほど、呼吸を意識しなければならない。  運動中の呼吸で重要なことは、力強く吐くことだ。酸素を取り込まなければ……と吸うことばかり意識するのはむしろ逆効果で、重量挙げや投擲種目の選手が雄叫びをあげるように、人間は吸う時よりも吐く時の方が力を出しやすいのだ。それに肺は、しっかりと吐き出せば自然と新鮮な空気を取り込むようにできている。  ペダルを踏み込むタイミングに合わせて息を吐く楡は、そのことがわかっているのだろう。もちろん都も同様だ。  限界ぎりぎりの走り。  それでも楡は力を緩めない。このままのペースで走りきろうとしている。  できるわけがない。  人間の力には限りがある。  素人の楡にはそれがわからないのだ。 「あ……あんた、どうして、こんな……無茶なこと。どうして、できるのよっ」  どうして。  なんのために。  こんなに、苦しいことを。  レースに慣れた都だって、毎回、苦しい局面では自問せずにいられない疑問。  楡が振り返る。苦しげな表情だが、しかし口元には笑みが浮かんでいた。 「都に、振り向いて、もらいたいから。あたしを、見て、もらいたい、から」  激しく呼吸しながら、途切れ途切れに答える。  呆れてしまう。まだそんなことを言っているのか。 「あんた、いったい、どこまで、本気なのよ」 「まるまる、本気」  いつもの、無邪気な笑み。  その表情に裏があるようには見えない。  だからといって、簡単に納得できるものでもない。 「ひと目惚れ、とか言って。あんな、短い時間で、なにがわかるって」 「時間なんか、関係ない、でしょ。あの、ゴールスプリントの一瞬に、都のすべてが、凝縮されてる」 「……っ!」 「それで、都のことが、好きになった。なにか、問題、ある?」 「…………」  なにも、反論できなかった。 「だから今度は、あたしの、すべてを、見てもらう。このレースで、あたしのすべてを、出し尽くす。……このまま、都を、ゴールまで牽いてく」  その言葉通り、力強く、しかし滑らかに、ペダルを踏み続けている。  ……まずい。  今の一言、かなり効いた。  どれだけ長い距離のレースだろうと、スプリンターの都にとっては、ゴール前、最後の二百mがすべてなのだ。  何十kmのレースも、その前の何千kmの練習も、ゴール前二百mで自分のすべてを出し尽くすために走っている。  なにも飾らない、本当の自分をさらけ出す一瞬。  楡は、そんな都をわかってくれているのかもしれない。これまで、同世代の女友達にはけっして理解されなかったことを。  伝わってくる。  前を走る背中から伝わってくる、楡の『本気』が。  本気でなければ、こんな走りはできない。  ただ、教室でクラスメイトと騒いでいるだけではない、これまで知らなかった楡の姿。  こんなにも熱く、こんなにも真摯な想いを秘めていたなんて。  単なるクラスメイトとして三ヶ月過ごしてもわからなかったことが、このレースを、いや、この最後の登りの数kmを一緒に走っただけで伝わってくる。  本当に、人を理解するのに、必ずしも時間は必要ないのだ。  力を振り絞って登り続ける楡。  都の前を、一定のペースで走り続けている。  シッティングでもダンシングでも、速度を変えない。そして一瞬たりとも都の後ろに下がろうとしない。宣言通り、都を牽いてゴールまで連れていこうとしている。  時速二十kmにも満たないヒルクライムでは、空気抵抗は大きな問題にはならない。それでもアシスト選手は必ずエースの前を走る。  物理的、肉体的にはなんの違いもないはずなのに、前にペースメーカーがいると明らかに楽になる。人間は、目に見える目標を追う時、ひとりの時よりも力が湧いてくるものだ。  対して、きつい登りをひとり先頭で走ることは本当に苦しい。前でも後ろでも肉体的な負担は同じはずなのに、精神的にはまったく違う。  それに耐えられるのは、本物のクライマーだけだ。  平地を得意とする都にとって、登りは、ゴールにたどり着くために耐えなければならない苦しみでしかない。  しかし、坂の存在そのものを楽しめる者がいる。  坂を登ることがなによりも楽しい。  坂が続く限り、いつまででも登り続けられる。  登りが苦しければ苦しいほど、心が高揚し闘志が湧いてくる。  苦しい登りを征服することに至上の悦びを覚える。  ペースメーカーなど必要としない、目の前に続く登り坂そのものが、追うべき目標に見える。  そんな人間。  それが本物のクライマーだ。白岩学園の白石佳織がそんなタイプで、坂はいつでも嬉々として登っていた。  そして、都の前を行く楡――  一瞬たりとも力を抜かずに走り続けている。  ハンドルを握る手も、ペダルを踏む脚も、筋肉が浮き出て小さく痙攣している。  もう、限界のはず。苦しくて、脚が動かなくなる寸前のはず。  それなのに、ときおり振り返る楡の口元には笑みすら浮かんでいる。  肉体的には苦しくてたまらないはずのこの登りを、楽しんでいる。  これは、本物のクライマーだ。  まさか、楡が?  この初心者が?  これだけ疲れて、力尽きかけているのに、それでもフォームは崩れていない。  目の前の背中に不安感は微塵も感じられない。  その線の細い背中には、ランス・アームストロングのような『王者の貫禄』はない。しかしまるで往年のリシャール・ヴィランクや、二○○八年のジロ・デ・イタリアで活躍したエマヌエーレ・セッラのような、どんな坂にも怯まない力強さがある。  違う。  これは、違う。  これは、山岳スペシャリストのヒルクライムだ。 「……あ、あんたっ!」  そのことに気づいた瞬間、都は思わず叫んでいた。 「……っあんた、シロウト、じゃ、ないっしょ?」  できっこない。  たとえ元々の心肺機能がどれほど優れていたとしても、付け焼き刃ではこんなヒルクライムができるわけがない。強靱な心肺機能と、傾斜に負けない筋肉を合わせ持ち、どんなに疲れていても滑らかにペダルを回し続けられるフォームを身体に覚え込ませなければならないのだ。  恵まれた才能と不断の努力、そのふたつを併せ持つ者だけが真のクライマーとなれる。どんなに持久力があっても、筋力があっても、この限界下で、綺麗なフォームとリズムを維持して走り続けるなんて、ひと月やそこらで身に付くものではない。  素質のある人間が、何ヶ月も、何年も、坂を走り続けてようやくできることだ。 「あたしは、自分が、素人なんて、一言も、言ってないよ?」  楡がにんまりと笑う。 「あっ……あのっ、最初の、ド下手な、ペダリングは、なんなのよっ?」 「……相手の、気を惹く、ための、ちょっとした、演技なんて、恋愛には、つきものでしょ?」  悪びれた様子など微塵もなく、ぺろっと舌を出す。 「あ、あんた……」 「えるむって、呼んでよ。この名前、気に入って、るんだから」 「……やかましいっ!」  怒気をはらんだ声で叫ぶ。  その怒りの半分は、自分に向けられたものだ。  迂闊だった。  楡の走りを見ていながら、ここまで気づかなかったなんて。  嬉々として坂に立ち向かう姿を見ていながら、素人という先入観が邪魔をしていた。 「……ホントは、レース、やめてたんだ。だから、これは、奥の手。これを、やらなきゃ、都に、振り向いて、もらえないから」  もう頂上は目前だ。  楡は苦しそうな呼吸を繰り返しながらも、スピードは緩めない。  頂上に達したところで、後ろを振り返った。その視線は都ではなく、もっと下に向けられていた。  口元に、これまでとは違う種類の笑みが浮かぶ。  都もつられて振り返った。  九十九折りの登り坂。木々の隙間から二人がいま登ってきた道を見おろせる。そして、そこを懸命に登ってくるふたつの人影があった。 「これで、二対二だよ」  楡が笑う。  追ってくる二人は、白岩学園の平岸と白石だった。他の選手の姿はない。二人だけでペースを上げ、他の六人を置き去りにしてきたらしい。  白石は登りのスペシャリストだ。本気を出した彼女が、最強のオールラウンダー平岸を牽いている。  都たちが飛び出した直後は、おそらく集団で追おうと考えたのだろう。しかし楡のペースが予想以上に速いために、逃げ切られる可能性を無視できなくなったに違いない。  もうレース終盤で、みんな疲労しきっている。人数が多くても前半のようにペースは上がらない。むしろいくらか力の劣る円山や本橋のペースに合わせるとなると、集団は逆に足手まといだ。  それに、集団の中に優勝候補筆頭の平岸がいては、どうしても牽制が入ってしまう。ゴールまでの残り距離が少なくなった状況では、前半の六人の追走のように、完全に損得抜きで協力することはできない。  だから平岸は、集団を切り捨てることにしたのだろう。右腕ともいうべき白石だけを連れて、二対二の真っ向勝負を挑んできた。 「さあ、ここからが本番」  強力な二人の追撃。差は一時よりも詰まっているだろう。  しかし楡の表情は明るい。  都にもわかった。これが、楡の望んでいた展開なのだ。  北海道の女子では最高のオールラウンダー平岸亜依子、そして最強のクライマー白石佳織。その二人に宮沢、円山という献身的なアシストが加わることで、白岩学園自転車部は最強のチームとなっていた。  しかし今、そのチーム体制は崩れている。  向こうは二人。  こちらも二人。  二対二。条件は五分。  これまで四対一の戦いを強いられていたことに比べたら、これはなんと恵まれた状況なのだろう。  互角の条件でゴールスプリントに持ち込めたら、都は平岸に負けない。総合力ではともかく、ゴール前二百mの都は最速だ。  その都を、ゴールまで牽いていってくれるアシストがいたら?  そのアシスト選手が、平岸をアシストする白石と互角か、それ以上の力を持っていたら?  勝てる、のだろうか。  五分の条件でゴールスプリントに持ち込める――それだけでも都にとっては信じられない幸運だ。  本当に? いやいや、そううまい話はあるまい。  都は気持ちを引き締める。  楡が素人ではなく、相当な力を持っていることはわかったが、それでも今のヒルクライムは無茶だった。  呼吸は乱れ、脚は震えている。もう力はほとんど使い果たしたはずだ。このまま都をゴールまで牽いていく脚は残っていまい。  登りの間はずっと楡が前を牽いていたが、ここは先頭を替わるべきだろう。そう考え、頂上を越えたところで前に出ようとした。  しかし、掌をこちらに向けた楡の腕が、押しとどめるように都の進路を塞いだ。 「前に、出なくて、いいから」  喘ぐように言うと、下りに向けてギアをシフトアップする。  見るからに苦しそうなのに、前を牽くことをやめようとしない。  このままゴールまで都を引っ張っていくつもりなのだろうか。いくらなんでもそれは無謀だ。  細身で、見るからにクライマー体型の楡。このタイプはえてして下りや平地は速くない。登りでは軽量が武器になるが、それ故に、スピード勝負に必要な絶対的な筋肉量が足りないのだ。 「……無理だって、ゴール前に追いつかれるって」 「いいんだよ、それで」  苦しそうではあるが、それでも楡の口調に暗さはない。 「五分の条件なら、都はスプリントで勝てるんでしょ?」  その言葉にはっとして後ろを振り返る。  いま越えてきたばかりの頂上。追ってくる二人の姿はまだ視界に入らない。  まだ、差はある。  この差があれば……  楡の言う通りだ。  確かに、力を使い果たした楡が牽き続けていたら、ゴール前に追いつかれるかもしれない。最強を誇る平岸と白石のコンビの力はだてではない。  しかし、それでも構わないのだ。  今の登りで、差はかなり開いている。そのために楡が支払った代償は少なくなく、この先の下りや平坦区間では充分な速度は出せないかもしれない。先頭を交代しようにも、都だってこの登りのダメージは相当なものだ。  それでも、これだけ開いた差を詰めるのは簡単なことではない。追いつくためには、平岸と白石は全力で先頭交代しなければならないだろう。平岸を温存して白石ひとりで牽いていては、ゴールまでに追いつけまい。純クライマーの常として、白石も下りや平地では特筆するほどの速さはない。追撃のためにはどうしても平岸の力が必要だ。  逆にいえば、平岸が先頭交代に加わればぎりぎり追いつける。しかしその代償として、平岸は脚を消耗する。  それに対して、楡が前を牽いている間、都は休むことができる。登りで消耗しきった脚も、最後のスプリントができる程度には回復するだろう。  まったくの五分でもスプリントでは都が有利。しかしこのままいけば、五分以上の条件で勝負できるのだ。  最後の下り区間、楡が前を行く。  予想していたよりもペースは速い。体型的には下り向きではないし、もう脚も残っていないはずだが、テクニックでその不利を補っている。  ハンドル中央部を握り、顔をハンドルぎりぎりまで下げ、脇と膝を締めて脚を止めた姿勢。スキーのダウンヒル競技に似た、空気抵抗を最小限に減らすポジション。いわゆるアメリカンダウンヒルスタイルだ。  下り坂では、姿勢による空気抵抗の差だけでも目に見えて速度が変わる。逆に全力でペダルを漕いだところで、急な下り坂では脚が回りきってしまうだけで速度アップにはほとんど寄与しない場合もある。成長期にある高校生以下は、脚を痛めないために一定以上重いギアの使用が禁止されているからなおさらだ。むしろがむしゃらにもがくことで、空気抵抗が増すデメリットもある。  都はぴったりと楡の後ろにつく。  楡のおかげで空気抵抗が軽減されるので、極端なダウンヒル姿勢を取らなくても同じ速度が出せる。負荷をかけずに脚を回して血行を良くし、疲労回復に努める。  これまでのところ、楡の下りはなかなかのものだ。何度もこのレースを走っている都と違い、このコースは初めてのはずなのに、コーナーリングに迷いがない。体重移動がスムーズでライン取りも的確だ。  これは天性の勘だろうか。マウンテンバイクのレースと違い、ロードレースでは下りのテクニックで勝負がつくことは少ないが、それでも稀に、下りで天才的な才能を発揮する選手がいる。楡はここまで、下り向きではない体格をテクニックで充分にカバーしていた。  下り区間が終わる。  ゴールまで、残すは数kmの平坦区間のみ。ここで速度を維持できるかどうかが勝負の分かれ目だ。  楡は相変わらず、ハンドル中央部に手を乗せて、身体を小さく丸めていた。普通、平地の高速巡航ではハンドル下部やブラケット部分を握るポジションを取ることが多いが、空気抵抗だけを考えれば楡の体勢は悪くない。山岳区間よりもややサドルの前の方に座り、タイムトライアル用バイクに近い姿勢を取っている。平地でハイペースを維持するには最適の走り方だ。  それでも、楡は本当に苦しそうだ。  荒い呼吸の音が、後ろを走っている都の耳にも届く。  血管が浮き出た脚の筋肉が不自然に強張っている。  脚の動きに合わせて、上半身が小刻みに上下している。  本来、ロードレースでは上半身を固定して体幹がぶれない姿勢が理想とされている。この動きは、もう本当に脚が残っていなくて、全身から最後の力を絞り出そうとしている証だ。  ちらり、と背後を振り返る。  来た。  平坦な直線に入って、追ってくる二人の姿が視界に入ってきた。  短い間隔で先頭交代を繰り返し、必死にペースを上げてじわじわと差を詰めてくる。  楡も後ろを振り返る。  脚にさらに力を込めたようだが、もうペースは上がらない。  楡はもうほとんど力尽きかけているし、そうでなくても二対一、平地では向こうの方が早い。  徐々に追いついてくる。  コース脇に掲げられた残り距離の数字が減っていく。  あと一km。  後ろの二人が近づいてくる。前を行く標的を射程に捉えて気合いが入っているのだろう。  白岩学園の二人はまだ先頭交代を繰り返している。やはり白石が牽いている時のペースはそれほど速くない。だとすると、この追い上げは平岸の脚をかなり消耗させていることだろう。  計算通りだ。  追いつかれても、勝機はこちらにある。  残り五百m。  二人が迫ってくる。もう、すぐ後ろに気配を感じる。  それでも、都の後ろについて風よけにしようとはしていない。王者のプライドだろうか。あるいは、これまで白岩学園の列車を利用せずに真っ向勝負を挑み続けてきた都に対して敬意を表しているのかもしれない。  都はスパートをかけるタイミングを計る。  残り距離。  後ろとの差。  そして、楡の限界。  本来のゴールスプリントは残り二百m以下でダッシュするが、楡の脚はそこまで保つまい。そこまで引っ張ったら平岸に前に出られてしまう。  やはり、もっと手前からロングスプリントを仕掛けるしかない。  ハンドルを握りなおし、右のシフトレバーに中指をかける。  左後ろから白石が追いついてくる。都の隣に並びかける。 「……楡っ!」  都が叫ぶ。  腰を上げる。  シフトアップする。  楡が左に進路を変える。  それらの動作がほぼ同時だった。  ペダルを踏みしめて加速する都。  楡が前を横切る形になったため、白石と平岸の反応はわずかに遅れた。  その隙に速度を上げ、差を広げる。  一瞬遅れて白石が腰を上げる。スプリントはさほど速くない選手だが、それでも自分の限界速度まで平岸を引っ張るつもりらしい。山岳アシストをこなした後で、さらにゴールスプリントの発射台になろうとしている。献身的なアシストだ。  しかし、平地のスピードでは白石は都の敵ではない。 「……亜依!」  残り二百m、白石が進路を空ける。平岸が最後の加速を始める。  トップスピードに乗るまで白石に牽かれていた平岸の一瞬の加速は、都のスピードを凌駕した。先にスプリントを始めたことで稼いだアドバンテージが失われていく。  都は三百mを超えるロングスプリントを仕掛けたため、まだ全力は出せずにいる。人間が本当に全力を出せるのはほんの数秒だ。陸上の百m走に要する十秒弱の時間ですら、百パーセントの力を出し続けることはできない。  追い上げてくる平岸の気配を感じながら、最後の力を絞り出すタイミングを計る。  大丈夫、勝てる。  自分に言い聞かせる。  ここまで楡に牽かれてきた都と、白石に牽かれてきた平岸。  条件は互角。  ならば、負けるわけがない。  負けるわけにはいかない。  勝利こそが、献身的なアシストに対する最大にして唯一の謝辞なのだ。  残り距離はもう五十m弱。  平岸が横に並びかける。  その瞬間、ギアをトップに入れる。  この時のために大切にとっておいた最後の燃料を爆発させる。  スプリンター大崎都の、本当の姿を露わにする一瞬。  ほんの数秒間。このわずかな時間のために、何百km、何千kmという距離を走ってきた。  力いっぱいにハンドルを引く。全身の力でペダルを踏み込む。  最後の、加速。  それが、楡の想いに対する都の答えだった。 * * * 「な、俺の言った通りだろう?」  フィニッシュラインを越えた都を迎えたのは、井口の、いまいちしまりのない笑顔だった。 「……真木ちゃんがいれば白岩学園に勝てるって」  自転車を停めた都は、震える脚で立ち、差し出されたボトルを受け取って浴びるように飲んだ。  激しい呼吸を繰り返すばかりで、すぐには声が出せない。 「…………井口、さん……知ってたんでしょ? 楡が、シロウトじゃ、ないって」 「俺が、なにも知らない素人の女子高生に三十万円のバイクを売るような人間だと思ってた?」  にやにやとからかうような笑み。これは、楡とぐるだったと考えるべきだろう。きっと楡は自分の正体を話した上で、都には内緒にさせたのだ。 「……聞いて、たんだ?」 「当然。もっとも、一目見てわかったけどね。経験者だって」 「え?」 「真木ちゃんの脚、クラスメイトなのに気づかなかった? あれはロードかクロカンやってた人間の脚だよ」 「……つまり、井口さんは女子高生の脚ばかり見てるんだ?」 「……」  否定の言葉が返ってこないところが微妙に怖い。 「……ったく、二人して、私のこと騙して……あんたも同罪だよ、楡」  すぐ後ろでゴールしたはずの楡を振り返る。  ……と。  都の目に映ったのは、左胸を押さえて苦しそうにうずくまる楡の姿だった。 終章  数日後――  都は花を手にして病院を訪れた。  楡の性格を考えたら食べ物の方がよかったのかもしれないが、なにしろ病気で入院しているのだから、食事制限とかがあるかもしれない。  ゴール直後に倒れた楡は、そのまま救急車で近くの病院に運ばれ、二日後、札幌の大きな病院へと移ってきた。  その後、精密検査などがあって、ようやく面会できるようになったのが今日だ。  都の表情は険しい。不機嫌そうに、大股で病院の廊下を早足に歩いていく。 「……ったく」  心臓に障害があることを、楡は井口にも話していなかった。当然だろう。知っていたら、井口も楡をレースに出させたりはしなかったはずだ。  だから楡は「引っ越しをきっかけに自転車から遠ざかっていた」と嘘をついていたらしい。 「…………」  病室のドアの前に立つ。  ノックしようと上げた手が止まる。  中学時代の楡は、トップクラスのクライマーだったという。富士山で開催される数千人が参加する大きなヒルクライムレースで、高校生、大学生を差し置いて、十代でもっともいい成績を出した選手に与えられる賞を獲得したこともあるというのだから、その実績は都よりもよほど上だ。  なのにレースから遠ざかっていたのは、心臓に障害が見つかったから。日常生活には問題ないが、激しい運動をすると発作を起こす可能性があったらしい。  当然、今回のレースに参加することはもちろん、またロードバイクに乗りはじめたことも親には内緒にしていたという。  生命の危険を顧みず、都を勝たせるためにあんな無茶をしたのだ。 「……、くそっ!」  ドアを殴りつけるようにノックする。  中から、明るい声が返ってくる。  ドアを開けると、ベッドに横になっている楡の姿が視界に入った。  点滴の管と心電図のコードがつながれているが、表情は明るい。 「待ってたよー、都」  予想していたよりもはるかに、いや、普段となんら変わらない元気な声と笑顔が都を迎える。  その笑みが無性に癇に障る。 「……バカじゃないの、あんた」  口を開けば、出てくるのは憎まれ口だ。 「えー、どうしてー? 約束通り、都を勝たせてあげたじゃない。ほめてくれてもバチは当たらないよ?」 「あんなことされても嬉しくないっつーの! わかってんの? ひとつ間違えば死ぬトコだったんだよ?」 「いやー、まさかホントに発作起こすなんて思わなかった」  悪びれずにへらへらと笑っている。 「障害っつってもこれまで発作なんか起こしたことなくて、健康診断で心電図とった時にたまたまた見つかっただけなんだよ? そりゃあ、激しい運動は禁止といわれてたけどさ。その直前に富士山登ったって平気だったんだから」  だから今回も大丈夫だろう……なんて、まさに素人考えだ。 「だからバカだっつーんだ」  楡がしてくれたことには、いくら感謝してもし足りない。  勝てたことはもちろん嬉しいし、それ以上に、強力なアシストと力を合わせて走る楽しさを経験させてもらった。  だけど。  こんなの、喜べない。  素直に感謝することなどできない。  ひとつ間違えば、今日、こうして楡と会うこともできなかったのかもしれないのだ。  都としては、怒るしかない。  怒っていなければ、泣き出してしまいそうだった。 「……この…………バカ…………」  だめだ。  目が潤んできてしまう。  本格的に泣き出しそうになるのを必死に堪える。 「……都、ごめん」  楡も、神妙な表情になる。  儚げな笑みを浮かべて言う。 「しばらく、会えなくなる」 「……」  せっかく、あんなに素晴らしい、あんなに楽しいレースができたのに、あの一度きりでもう一緒に走ることはできない。  それを考えると、さらに涙が込み上げてくる。 「あたし……手術、受けることに決めた。だから……しばらく、会えなくなる」 「え……?」 「心臓の障害が見つかった時、あたし、手術するのが怖くて……激しい運動をしなければ、薬飲んで時々検査受けるだけで普通の生活を送れるって言われたから、じゃあそれでいいや……って」 「……でも、レースであれだけ実績残してたんでしょ?」  それだけの力がありながら、走ることを簡単に諦められたのだろうか。  完全に治してもう一度……とは考えなかったのだろうか。 「富士山でいい結果を出して、いちばん調子に乗っていたそのピークで、いきなり走ることを取り上げられちゃったんだよ? ……なんか、ヤケになっちゃって、もういいやって。……富士で使ったフレームも捨てちゃった」  まだ乗れるフレームを捨てる。それも、愛着と想い出があるものを。  そのことから、楡が受けたショックの大きさがうかがえる。  メーカーから毎年新フレームを供給されるプロ選手ならともかく、アマチュアの市民レーサーにできることではない。井口の店には、二十代の頃に北海道選手権や実業団のレースで優勝した時のフレームが今も記念に飾ってある。 「……それに、限界も感じ始めてたんだ。ヒルクライムじゃ無敵だったけど、あたし、ヒルクライムしか走れないから。スプリントなんてめちゃめちゃ遅いから。ヒルクライムレースだけのアマレーサーも多いけど、あたしの理想は違うんだよね。登りだけとか、下りだけとかじゃなくて、登りだろうと下りだろうと、道路が続く限り走る。それがロードバイクってものだと思う。だけど理想は理想。登りじゃない限りあたしは勝てないし、ヒルクライムレース以外で、本格的な山岳コースのレースなんて日本にはないし」  そうだ。  ロードレースが文化として根づいているヨーロッパとは違い、日本では公道を利用した本格的なレースは少なく、多くが公園や河川敷などを利用したサーキットレースだ。当然、ヒルクライムレース以外では本格的な山岳コースなどほとんどない。市民レースでは、大滝ほどのコースも皆無だろう。 「だから……もういいや、って思ってた。でも……、都と出会って、もう一度レースしてみたくなった。都とだったら……都のためだったら、自分が勝てなくても、アシストとしてエースを勝たせることに専念してもいい、都を勝たせるために尽くしてみたいって、思った」 「楡……」 「あのレース、楽しかったよ。自分が優勝した中学時代のヒルクライムレースよりもずっと。……都と一緒に走ることが楽しかった。都が勝って、本当に嬉しかった」  清々しくて、どこか儚い笑みを浮かべて言う。  今まで楡が見せたことのない表情だ。 「だから、手術することにした。どのくらいかかるかわからないけど、ちゃんと運動のできる、完全に健康な身体になりたいって思った」 「……うん」 「そして、都と……」 「……うん」  都もうなずく。  また、一緒に走ろう。  また、一緒にレースしよう。  そう言いかけたのだけれど。  そこで、楡の表情が変化する。  笑顔であることは変わらないが、いかがわしいオーラをまとったにんまりとした笑みに。 「……そして、うんと激しくエッチしようね? それまで『賭け』の賞品はおあずけで」 「――――っっ!」  反射的に蹴りを入れそうになった脚をなんとか抑えたのが、都の、病人に対する精一杯の思いやりだった。 あとがき ※この作品はフィクションであり、実在の人物、団体、事件等とは一切関係ありません。  作中で描かれるレースの内容、コースプロフィール等も、実際のものとは異なっています。  ……ということで、ごきげんよう、お久しぶりです。  最近、ふれ・ちせとてぃーぽっとは更新頻度が下がっていますが、地道に書き続けてはいます。  ということで、約半年ぶりの新作『ハートブレイク・クライマー』をお届けします。  以前から予告していた、おそらくは本邦初の自転車ロードレース百合もの。自転車に乗ったことのない人は皆無でも、ロードレースとなると日本では本当にマイナーなスポーツなので、その扱いは少々悩みましたね。  できるだけ、ロードレースを知らない人でも楽しめるように書いたつもりですけど、専門用語を使わないわけにもいかないですし。  いっそ解説とか用語集とかを付けようかとも考えましたが、用語集片手に小説を読むというのも興醒めなので、開き直って解説なしでの公開としました。  興味のある人は、ウィキペディアあたりで「ロードレース」「ロードバイク」「ランス・アームストロング」などを調べてみてください。ちょうど、世界最大のロードレース、ツール・ド・フランスも間もなく始まるので、J SPORTSを視聴できる方は一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。  この作品をかなり書き進めた後で「ヒロインを初心者にすれば、作中でごく自然にロードレースの説明ができたのに」と気づいたのですが、残念ながら今回は二人とも経験者 『ロードレース百合もの』のネタは他にもいくつかあって、本作の続編というかサイドストーリーというか、今回の敵役だった白岩学園の平岸×白石の話では、高校入学当時のまったくの初心者の白石が主人公だったんですけど、ストーリィの順序的に本作の後じゃないと公開できないのでした。  自分のレース経験を活かして生まれたこの作品ですが、ロードレースと創作活動というのもなかなか両立が難しい趣味です。  私も一応、北海道では最上位の男子エリートクラスに属してますけど、このクラスでまともにレースできる力を維持するためには、余暇の大半をトレーニングに当てなきゃならないんですよね。  大滝のレース前は、月間走行距離が約二○○○km。それでも「なんとか完走」という状態。知り合いには、月三○○○km走っているという強者もいますが、月三○○○kmってことは、平日休日問わず毎日一○○kmってことですよね。フツーに仕事しつつ毎日一○○km……しかも五十代……鉄人ですな。    そんなわけで、レースやってる間はなかなか更新ペースも上がりませんが、気長にお待ちください。  次回作の予定は……竜姫の続編か、竜姫とは別の戦闘機ものか、魅魔の新シリーズか、はたまたロードレース百合の新作か……。  まあとにかく、気長にお待ちください。   二○○八年七月 北原樹恒 http://hure-chise.atnifty.com/ kitsune@nifty.com